シルバーの城郭城址の散歩道「大垣城周辺の城址03」(安八郡・大垣市墨俣)の城址を収録しました。


大垣城周辺の城址02

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大垣城周辺の城址04

 

安八郡・大垣市墨俣町
ここには8箇所の城址を紹介します。

安八郡神戸・安八・輪之内各町と大垣市墨俣町の8ヶ所の城址位置図

神戸町  32.西保北方城(に  しのほきたがた=神戸町西保)、 33.和泉城(神戸 町和泉)、
安八町
輪之内町
 34. 結城址(結神社)(安八町結)、    35..森部城址(稲葉氏屋敷)(安八町森部)、
 36.氷取城(こおりとり=安八町氷取)  37.牧村城址(円長寺)(安八 町牧村)、
 38.
福束城(福満寺)(輪之内町福束)、
大垣市 39.州俣(墨俣=すのまた)一夜城跡(墨俣町墨俣)、

 

32.西保北方城址
(にしのほきたがた)  

安八郡神戸町南方(西保北方)  海抜 

北緯

35

24

24.7

東経

136

35

41.2

西保北方城址碑あり

西保北方城址 案内板なし
 県道212号を北上し安八郡神戸町へ入り下宮の信号を左(西)折して県道217号線へ入ります。
500m先の近鉄養老線の踏切を渡り、700m進んだところで右(北)折し400m程度進み
西保地区へ入ります。
西保地区の中心部にある竹藪とその東あたりが町指定史跡になっている西保城址です。
    (緯度経度を参考にしてください。2013.12に現地で確認)

西保北方城跡の付近の城跡
西保北方城址は安八郡神戸(ごうど)町にありますが、
近くには大垣市赤坂の「市橋城址」や「池尻城址」・「谷氏屋敷跡」があります。
道順も大垣市赤坂から入った方が分かり易いと思います。

西保北方城址
この場所は地図に表すに大変難しい所にあります。
岐阜県安八郡神戸(ごうど)町西保にあることは分かりますが?!。
付近に小学校もなく、カーナビで「念教寺」が検索できれば一応目安になりますが、
此の「念教寺」も難しい場所にありますから探すのが大変です。
地元の人と話をするとき地元では有名らしい「清水書道」が出てきます。
がそれすら分かりずらい場所の端にあります。
上の地図を参考にして根気よく訪ねて下さい。
頼りになる「城址碑」は電柱とカーブミラーの陰で醜い所に隠れています。
(シルバーの散歩道)

偶然電柱の陰に隠れて居るのが目に留まりました
神戸(ごうど)町西保(にしのほ)地内にある「神戸町文化財史跡西保北方城址」碑

「西保北方城址」
現在は数軒の民家が建ち一部は雑木林となっています。

                         戦国時代の運命の城
 西保城の築城年代は定かではないが、不破郡垂井町の府中城(F-117参照)の不破道広が西保へ移って築かれたともいわれている。
 3代目の城主が不破光治で、土岐頼芸・斉藤道三・織田信長に仕え、越前に出兵し戦功も多く、後に安土城代にもなっている。
 その後、稲葉方通(まさみち)、天正末年に木村勝正が城主となったが、慶長5年の関ヶ原の戦いでは西軍に属し、大垣城で討死し、西保城も廃城となった。
                         (小学館 「名城をゆく」より)

和泉城址は南平野小学校が目印です。
しかし、藪を教えていただいても藪のどこに「城址碑」あるかが分からない!?
藪の画像を多数撮って掲載しましたので参考にしてください。
現地で見れば、どの画像も同じアングルで撮られている理由が分かります。

33.和泉城址 

安八郡神戸町和泉   海抜 

北緯

35

23

54.

東経

136

36

06.

和泉城址碑
同じアングルの画像しかないのは碑の位置に関係します。
藪の隅に建てられている碑は、この位置がベストアングルです。
藪へは溝があって近づけづ溝の私有地のふちの田圃の狭いあぜ道が
唯一の場所です。

和泉城址
町立南平野小学校の東100mほどの田圃の中の竹藪が城址です。
城址碑は藪の北側の中間にあります。
県道217から入る(東進)目印は南西角に「日吉神社」があります。

城址碑へ近づけるのは「南平野小学校側(西)からの農道だけです。

藪まで70mほどで農業用水路があります。

北側から見た藪
「和泉城址」は田の中にある藪の北側の真ん中あたりに立っています

「神戸町文化財指定 史蹟 和泉城址

 

34.結城址

岐阜県安八郡安八町結  海抜  5m

北緯

35

22

08.

東経

136

39

50.

 境内にある「結(むすぶ)城址」の説明板

結城跡
国道21号線「横尾」信号を南進し400mほどの西側にあります。

結城跡(結大明神)
国道21号(岐大バイパス)「横屋」信号から南へ入り道なりに200m程進むと
「結城跡(結神社)」横へ到着します。

                           結城址説明
 高田二郎兵衛の館が結神社から南西700mの地にありました。

 結城があったといわれる 結神社南西700mは現在は民家と田圃です。

結神社

結城の歴史
 高田二郎兵衛は斉藤道三の家臣で六人衆と呼ばれた大将格で天文年間(1532〜55)に結城主として三千貫を領し、東結入方の津島神社や社領を寄進したりしましたが、永禄四年(1561)五月、織田信長軍と森部で戦い大垣城主だった長井甲斐守衡安とともに討ち死にし斉藤軍は敗走ました。
  (安八町教育委員会)

                      「結神社と織田信長」の説明板
    結神社と織田信長
 天正二年(1574)信長は長島の一向宗を焼き討ちしました。
 しかし、まだ東は武田勢、西には一向宗の反対勢力があり、翌天正三年(1575)、長篠の合戦、越前の一向宗を撃つ前に、この結神社に、七日間の戦勝祈願をしたと言われています。
 その後、信長は天下を取ることになった縁起もよい祈願でした。
                              (安八町教育委員会)

 

35.森部城址
     (稲葉氏屋敷跡)

岐阜県安八郡安八町森部下屋敷 海抜  6m

北緯

35

20

16.4

東経

136

41

01. 

城跡説明板あり
森部城址は金峯神社となり

 安八郡安八町森部の金峯神社隣が森部城址です

森部城址
県道18号から長良川右岸堤防上で堤防道路県道23号を上流側へ入り
1200m付近の堤防下(西側)に「金峰神社」の森が見えてきます。

森部城址は森部分教場でしたが現在は、町の公共地となっています

                        安八町史跡 森部城址
 この地は、永禄四年(1561)の森部合戦に織田信長に味方して手柄をたてた、河村久五郎の屋敷跡といわれています。
 南隣の金峯神社の地は、慶長十五年(1610)ころ羽島市本郷城址稲葉佐渡守正成(曽根城主稲葉一鉄の次男重通の養子)の屋敷跡で「下屋敷」という地名の起こりと言われています。(不破壱岐守が居城したとも言われる)
 正成の奥方は、後に江戸幕府三代将軍徳川家光の乳母「春日の局}であります。
                      (安八町教育委員会)

               森部城址の歴史
 隣接する金峯神社は慶長十五年(1610)のころ羽島本郷城(B-25参照)主稲葉佐渡守正成(曽根城主   (A-04参照)稲葉一鉄の次男重通の養子)の屋敷跡で、「下屋敷」という地名の起こりといわれている。
                       (安八町教育委員会)

 

36.氷取(こおりとり)城址

岐阜県安八郡安八町氷取 城  海抜  ー5m

北緯

35

19

46.3

東経

136

39

47.

城跡説明板あり
安八町史跡 氷取城址
 
氷取城は竹鼻城の出城で、竹鼻城主不破源六友綱の弟、不破大炊頭が守っておりました。
 天正一二年(1584)、小牧長久手の戦いで、豊臣秀吉は、羽島市下中町の加賀野井城を落とし、
続いて竹鼻城(B-16参照)を水攻めにしました。
 城兵はよく戦いましたが、六月十日落城。
 氷取城は、この時竹鼻城と運命を共にしたものと思われます。
 城の遺構はありませんが町名として残りました。
(この辺りを安八町氷取 といいます)
  (安八町教育委員会)

氷取城跡
県道18号(美濃路 大垣・一宮線)の「氷取西」信号を南へ入り200mを東へ折れ
「安八町立名森小学校」南の広場が「氷取城跡」です。

城跡の町の避難所広場
  地元の人に地名の氷取の名の由来を尋ねたら、
「昔はこの辺りで冬は氷を取っていたから」でした。

 

37.牧村城址
(円長寺)

岐阜県安八郡安八町牧  海抜 ー2m

北緯

35

19

35.7

東経

136

39

04.8

城址碑あり

牧村城は円長寺
 県道18号線を安八町大明神地内の信号で南折し県道220号線を約1500mの交差点信号を西折し
100mの正面にある円長寺が城址です

牧村城址
安八町の中央辺りで「牧小学校」北あたりにあります。

牧村城の歴史
  築城年代や築城者については定かでないが、戦国時代斎藤龍興の
家臣牧村政倫が居城していた。 
 後に政倫は、利休の七哲の一人牧村兵部利貞を継嗣にした。

 

38.福束城址(福満寺)

安八郡輪之内町福束  福満寺

北緯

35

17

42.0

東経

136

37

32.9

                         福束城の歴史
  八月十六日朝、東軍勢は福束城の東方から軍を進め、福束城の南東大榑(おおくれ)川左岸の勝賀村付近(現岐阜県海津市平田町北部一帯)に布陣した。
 迎え撃つ福束城の丸毛兼利も対抗して川を挟んだ右岸一帯に出陣する。
 兼利から報せを受けた三成は、大垣城主伊藤盛正・長松城主武光式部に福束救援を命じ、自らも手兵を裂いて舞兵庫ら計三千の救援軍を福束へ向かわせ、これら両軍が川を挟んでにらみ合いとなった。
 右の写真は福束城ゆかりの福満寺で、当時は福束城の敷地内にあったが(同寺には福束城の絵図面が現存する)
 川の流れが変わった際にこの場所へ移転したという。

福束城址
県道30号線(主要地方道羽島・養老線)の「福束大橋東詰」信号を上流側へ曲がり
堤防道路へ入り、50mほどで下へ下りる道へ入りさらに100m程の東側に
「福満寺」がある。そこが「福束城址」と言われています。

目印は「県道30号福束大橋東詰信号」を上流側すぐに「白髪神社」があり「福満寺」は50mほど上流です。

福満寺境内には遺構らしきものは見当たりません。

堀址と新しい水路のためか二重になっています。

 

39.州俣(墨俣=すのまた)一夜城址

大垣市墨俣町墨俣  海抜 3m

北緯

35

21

48.

東経

136

41

23.

城址碑あり

墨俣一夜城址
県道31号長良川に架かる「長良大橋」の西の信号を上流側へ入り200m
「犀(さい)川」を渡ると駐車場があります。

墨俣一夜城址
県道31号「長良川」西詰の信号「長良大橋西」を北へ入り
200m先に模擬城「墨俣歴史資料館」が見えてきます。
此処が一夜城」城址です。

平成3年頃の一夜城址の古い画像です!

その頃訪れる人も居ない草ぼうぼうで川にはゴミが浮いていた小島でした

汚れた川に囲まれた城跡
竹藪と雑草も生えゴミだらけでした。

    一夜城内の神社
 城内には「白鬚神社」がお祀りしてありました。

一夜城の歴史
木下藤吉郎が4日で完工させた一夜城

                 足軽頭から城主へ
 今川義元を桶狭間で破り、尾張を平定した織田信長は美濃の斉藤龍興(さいとうたつおき)を押さえて京への要所「美濃路の墨俣」に砦を築こうとしました。
 佐久間信盛、柴田勝家などの部将に命じましたが、いずれも築城に失敗したため、永禄九年五月の老臣会議で、末席にいた木下藤吉郎は、誰も引き受けないこの難工事を進んで引き受け、居並ぶ部将らを驚かせました。

                           一夜でなく4日間で完工
 藤吉郎は直ちに準備にかかり、蜂須賀小六、前野将右衛門らの協力を得て、同年九月十二日から総勢2,140人で築城に着手しました。
 攻めてくる斉藤軍と戦いながら、夜を日についで工事を急がせ、同月十五日に完成させ、織田信長を入城させました。
 信長は、この城を拠点にして、翌十年に斉藤龍興が守る稲葉山城を攻略し、長年の念願の美濃国を手中にしました。

                          秀吉も偉いが、信長も立派
 この功績から藤吉郎は足軽頭から墨俣城を預かる部将にとりたてられ、太閤出世物語の出発点になったところで、一夜城とし夜に名を残した砦跡です。

一夜城跡には当時の砦の模様を再現した馬柵などがありました。

 「州股城築城犠牲者の墓」

 一夜城築城に当たり城を造る傍ら、攻撃してくる斉藤軍と戦うため多くの戦死者が出ました。
 その戦死者を葬った墓が城内に今もあります。
   藤吉郎馬柵
 斉藤軍の騎馬を防ぐための「柵で高さ1間(1.8m)地中に3尺(90cm)。 松檜材を藤つるで二重に巻きて縛り、城の周囲を二重に、総延長千八百間(3,300m)めぐらせた」とあります。
      「一夜城跡」碑文
 「戦国の頃、尾張の織田信長は美濃進出の足場とするため州股に砦を築こうと企て佐久間信盛、柴田勝家等に築城を命じたが、相次ぎ失敗したので大いに怒った。
 時に木下籐吉郎秀吉進んで これに当たる。
 永禄九年九月蜂須賀小六等野武士二,三千人を率いて大小の長屋十棟、櫓十棟、塀二千間、木柵五万本分、を人夫一千人を使い夜を日に次いで普請を急がせた。
 七日程度にて大方城も出来、一夜の内に塀櫓を押し立て塗り立て完成したように見せかけたので攻撃中の井之口の斉藤龍興の兵八千余騎は驚いて敗走した。
 信長はその功を賞し秀吉を城主とした。
 俗に一夜城と言う秀吉出世の由緒ある城である。」
             (碑文から)

現在の一夜城

「ふるさと創生」金の城
 竹下登首相(当時)が発案した公共事業で19881989年に全市町村一律に1億円を交付した金で
歴史とは少し異なる城ができました。

(なおシルバーの城跡の散歩道「墨俣一夜城ここクリックしてしてください。)


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