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シルバーの城郭城址の散歩道「大垣城周辺の城址」(本巣市)の城址を収録しました。


大垣城周辺の城址04

城郭・城址の散歩道(目次)へ

大垣城周辺の城址06

 

本巣市

市内の23箇所の城址を紹介します。

D.本巣市

48.小柿城跡(本巣市小柿)、
49.
軽海
(かるみ)西城跡(本巣市軽海字北屋敷640)、
50.
花木
(かぼく)城跡(本巣市七五三:しめ・最乗寺)、
51.八居(やい)(本巣市屋井)、
52.堂の城跡(本巣市屋井)、53.文殊陣屋址(本巣市文殊)、
54.山口城主居館址(本巣市下山口)、
55.
山口城跡(
本巣市山口・文殊の森公園)
56.
法林寺城跡
(本巣市文殊・山口城の先)、
57.
祐向山城跡
(本巣市文殊・法林寺城の奥)
58.
掛洞城跡
(本巣市文殊・祐向山城の先の尾根)、
59.大野城跡(本巣市外山河内)、
60.
鷲見蔵人の城跡(外山城(旧本巣郡本巣町)
61.金原城址(砦跡)(本巣市金原)
61-1.根尾横ずれ断層-1(本巣市金原西塔之越)
61-2坊主おとし-1・円勝寺本巣市金原)
62.
日当(ひなた)代官所跡(本巣市日当)
62-1坊主おとし-2・現場本巣市日当)
63.宇津志城(本巣市根尾古城)、 
63.
板所(こうどころ)城
(本巣市根尾板所)、
64.
高尾城跡(本巣市根尾高尾)、
64-1.根尾谷断層(本巣市根尾高尾)、
64-2.薄墨の桜(本巣市根尾板所今村)、
65.
根尾城
(本巣市根尾市場)、
66.
神所(こうどころ)城
(本巣市根尾神所(こうどころ)
67大井の殿様屋敷跡(本巣市根尾大井=バンガロー村)
67-1.御姥様の水
(本巣市根尾中)
67-2.根尾横ずれ断層-2(本巣市根尾中)
68.中の殿様屋敷
(本巣市根尾中=八幡神社)、
69.
長峰城
(本巣市根尾長嶺=素盞鳴(すさのお)神社)、
69-1坊主おとし-3・三ノ段本巣市根尾大井)
69-2根尾発電所(本巣市根尾長峰)
70.
能郷殿様屋敷
(本巣市根尾能郷上原)
70-1.能郷白山神社(本巣根尾能郷 白山神社)

 

48.小柿城址

本巣市小柿  海抜 20m

北緯

35

24

58.

東経

136

40

53.

「小柿城址」
小柿城址」は、「糸貫川」の堤防北側に一部残っていました。
地元の「坪内泰久」の奥様に案内していただきました。(写っている自転車ごそうです)
案内してくださる前に「碑も案内板も何もありませんよ」と何度も念を押されました。

小柿城址
県道92号線の「本田小橋」信号の東300m「糸貫川」西袂の道を北へ入る、
普通乗用車なら通れます。約700mで小柿集落が見えてきます。

小柿城址
地図を見ても分かりずらい場所にあります。
何度も小柿地区を訪れ諦めかけた時、偶然にも城址と間違えた「T邸」を訪れ
屋敷内に祀ってある神社の由来をお聞きしている時、
奥様が「小柿城址は近くにありますよと言って案内してくださいました。

集落側から見た「小柿城址」「糸貫川堤防」

「糸貫川堤防」上から見た「小柿城址」

見当違いで「瓢箪から駒」

城跡ではないかと勘違いして訪問
立派な門構えと屋敷内に神社をお祀りしてあることなど城址の条件が揃っている思いました。

中庭にも門がある「城構え」の家でした。

「シルバーの散歩道」が失礼な訪問をしても「ご苦労さまです」と。
訪問目的を申し上げると「小柿城址はご案内しますが、何もありませんよ」
と何度も念を押されて、寒い夕方に案内してくださいました。
(ありがとうございました)

 

49.軽海西城址
(かるみ)

岐阜県本巣市軽海   円長寺  海抜 8m

北緯

35

25

33.

東経

136

39

29.

城址碑あり

軽海西城址
県道53号線「軽海城橋」東袂から北へ突当りを東へ、
すぐに北進すると少し広い場所に「説明板」と碑があります。

軽海西城址(円長寺)
目印は県道53号の「軽海城前」信号を北へ入るのが分かり易いと思います。

             町指定史跡 軽海西城址
 軽海西城は古記録によれば加留美郷旧館の地といわれるが創建の時代は明らかでない。
 土岐氏の時代に至って稲葉氏が、数代居住しその後、西村勘九郎(のちの斉藤道三)が居住したと伝えられる。
 永禄年間池田勝入の家臣片桐半右衛門が要害を備えて住んだというが永禄四年(1561)軽海合戦の折り重要な役割を果たしものと推定される。
 天正十七年(1585)一柳伊豆守直末が六万石領し、この地を支配した。
 直末は豊臣氏に従い小田原合戦に加わって伊豆山中にて戦死した。
 のち後裔(のちぞえ)が菩提を弔って建てたのが円長寺であるといわれる。
 この寺域を軽海城址と推定し、昭和五十四年四月十五日 町の史跡として指定された。
                        (本巣市教育委員会)

寺を取り囲む濠跡がわずかに面影を残しています。

 

50.花木(かぼく)城址

本巣市七五三(しめ) 最乗寺  海抜  14m

北緯

35

39

34.

東経

136

39

34.

住職からの話のみ(文献確認なし)

 

住職の話
最乗寺の若い住職の話によると「この寺は昔の城址に建てられ
古城の名は花木城と呼ばれていた」とのことです

 

51.八居(やい)城址

本巣市屋井     海抜  17m

北緯

35

47

04.

東経

136

39

07.

八居城跡
国道303「屋井」信号を南へ200m地点で「県道170号」へ入ります。
道なりに3〜400m進むと、西側に「春日神社」が見えてきます。
三差路を西へ入り更に北へ入る道へ。
そのまま北へ進むと大きな門が見えてきます。
昔の城域は通りの水路から奥の広い敷地だったと思われます

八居城址
 本巣郡糸貫町地内国道303号線を西進した場合、信号「七五三(しめ)」から400mほどの
三つ又分岐を鋭角に西折れし200mほどの南下した三叉路西に「春日神社」が見える所を
西折れし20mほどに北へ入る道があります。   (車の場合は「春日神社境内に停めます。)
 その道の100mほど奥(北)に「陣屋門」が見えてきます。
 住宅地図から考察すると水路の位置などから「春日神社」あたりまで
城域だったのではないでしょうか。
 土塁も西側に残っています。
 広い邸内で子供たちが遊んでいたので「ここは屋居のお城跡ですか?」と聞いたら
「そうだよ」と答えてくれました。
 たまたま奥様が出ておいででしたので「城址の写真を撮らせて下さい」とお願いしたら、快く承諾して下しました。

奥に門が見えてきました。

インターネットのお城のとびら」氏にある「寺町氏邸」を参考に
住宅地図から探してやっとたどり着きました

夕方の忙しい時刻にかかわらず奥様が対応してくださり
「八居城跡です」と教えてくださいました。

門の両側には堀の跡があります。

 

52.堂の城址

本巣市屋井

北緯

35

39

33.0

東経

136

35

49.3

城跡場所不確認 (文書不確認)

地元の人に聞いて廻ったが10人10色の回答でした。

堤防脇の柿畑が城跡
国道303の信号「藪川橋東」の南側一帯が城跡」と教えてくれた人も居たが?
(画面左の方にある交差点が地元の人は「堂の城」と呼んでいる)

ある人は国道303の信号「屋井」の辻は以前は「堂の城」と呼んでいた。
辻の西側にある空き地が城跡という人も居た。

最近までお寺があった!
この寺の跡が「城跡」だと言う人も居ました。証拠の「大銀杏」は最近切られたそうです。

 

53.文殊陣屋址

岐阜県本巣市文殊  海抜 44m

北緯

35

29

08.

東経

136

40

40.

 

52「文殊陣屋址碑」
国道157号「本巣小学校西」信号を東へ入り200mほど進み川に沿って
北へ入り、また200mほどの「ふるさと活動センター」の建物の前に
碑がたっています。

国道157の「本巣小学校西」の信号を東へ入り70mほどの南側の建物入口脇に「文殊陣屋跡碑」が見えます。

 

54.山口城主居館跡

岐阜県本巣市下山口   海抜  53m

北緯

35

29

45.

東経

136

40

11.

確認碑あり

山口城主居館は織部駅の西側
 「山口城主居館」は織部駅の西側線路沿いです。
国道157号線の道の駅の手前の信号を左折し、踏み切りを渡って、50m先を右折した先の竹薮が居館跡です線路沿いに「主殿碑」、左手に進むと「勅使鋳物師屋敷跡」の碑があります。

樽見鉄道「織部駅」プラットホーム西にあります

屋敷の周りを更に廻りますと

長い竹藪の中間の奥に門が見えます
少し中を覗いてみたいと近づいてみました。

再び竹藪の周囲に沿って西の方へ歩くと竹藪が切れて明るい所へ出ました。
そのコーナーに石碑らしきものが土に半分埋もれて見えました。

史蹟 勅使鋳物師住居跡 美濃国山口村
裏には「宝暦年間(1449)より名和、竹中、国枝(土に埋もれて見えない)
鋳物氏をつとめ朝廷に奉納する燈炉(以下見えず)   
の梵鐘等を鋳造した、この地はその跡(以下見えず)  

 

中の城跡 経由
55.山口城址

岐阜県本巣市山口文殊(文殊の森公園)

北緯

35

29

23.7

東経

136

41

01.3

現地未訪問

山口城址・法林寺城址・祐向山城
 国道157号線「道の駅織部の里もとす」手前100mほどに文殊の森の案内板がありこれに従い右折します。各所の案内板に従い道なり900mほど進むと「文殊の森」駐車場に来ます。
ここより森の案内板に従い左手方向に登ると山口城址(野鳥の森)へ。
さらに「望郷の展望台」へ進む途中に法林寺城址があります。
または駐車場からまっすぐ進みキャンプ場を越え文殊峠を越え登りきると望郷の展望台へ、
此処から北に下りて尾根を進むと祐向山城に至るそうです。

画像準備中

        

「文殊の森」登り口に駐車場(無料)があり車はここに置いて徒歩で登ります。

古田織部の一生
 天文十三年(1544)に山口城主古田重定の子である織部(重然)は生まれました。
 永禄十年(1567)織田信長が岐阜城に入城後に、織部は信長に仕えました。
 その後、秀吉に仕え、天正十二年(1584)に山口城主となり、翌年には、山城西ケ岡三万五千石の大名になりました。
 関が原の戦いでは家康に付き、二代将軍秀忠の茶道指南役でもありましたが、元和元年(1615)に謀反の嫌疑をかけられ長男重広とともに自害しました。 
(現地案内板より)

 

 

56法林寺城址

本巣市文殊(山口城の先)

現地未訪問

57祐向山城址

.本巣市文殊(法林寺城の奥)、

現地未訪問

58 掛洞城址

本巣市文殊(祐向山城の尾根)

現地未訪問

掛洞城址は祐向山城の尾根奥にあるようです。

59.大野城址

岐阜県本巣市外山河内  海抜 134m

北緯

35

32

40.

東経

136

40

43.

碑確認画像あり

大野城は本巣カントリー北
 県道79号線を岐阜市からも本巣町へ入ると岐阜本巣カントリーがあり、これを過ぎて右手の川内集落に進みます。集落の東側の工場の裏手の道沿いに城址碑があります。

 

大野城址碑
本巣市外山「岐阜本巣カントリークラブ」の北西「東洋プレコン工業梶vの
裏側の木の下に碑はあります。

地元の人に言わせると「馬頭観音さんがあるだけだよ」とのことです。
他の桜は咲いているのに、個々の桜は陽陰のためか山桜の為か咲くのが遅いようです。

大野城址碑の裏には
「大野城主外山四郎忠頼は元弘元年 この地方九ヶ村を治めていた城はこの地にあった」
とあります。

もし碑の位置が探せなかったら、この集落に唯一のお店「モエ」を探してください。
このお店で聞くか、この店の横奥に「東洋プレコン工業」ありますから、
工場の周囲をぐるっと廻って下さい、すぐ見つかります。
(ほとんど目印になる店が無いのでこんな書きしかできません。ゴメンナサイ)
(シルバーの散歩道)

大野城址の桜
昨年訪れた時、碑の周りがあまりにも殺風景なので
桜の時期にに再度訪れようと思い、里の桜が満開の4月5日に訪れましたが蕾。
次に4月10日・駄目 4月21日に訪れたら葉桜になっていました。(残念!)

 

 

60.鷲見蔵人の城址
(外山城址)

(本巣市外山(旧本巣郡本巣町)

史蹟外山城址碑あり
「織田信長の安堵状」

鷲見蔵人の城跡(外山城址)
県道79号を本巣市外山の外れの大きなカーブの内側の山の上にあります。

県道79号金坂峠の南約200mの道路西側に「外山城史」の説明板がある。
説明板の坂の上に「鷲見蔵人の城址」の碑が見える。

外山城史1(築城までの経緯)
四百余年に亘って郡上一円を支配していた鷲見氏も、阿智葉(あちば)城(現郡上市)に於いて
善戦むなしく敗れ、各地へ落ち延びて行った(天文十年430年前)。
外山城を築いた鷲見蔵人(くらんど)もその戦いに城代(じょうだい)として戦ったことが
「高鷲(たかす)村史にも書かれている。
その後の足取りは定かでないが、山県北野の鷲見城を経て、この地に土着し、
荒れ地を耕して、半士半農の生活を送っていたものと思われる。
余は正に戦国時代であり、帰農したとは云え武将である鷲見蔵人には、
各地の棟梁から還尉(かんじょう)の誘いがあり、戦の度に参戦し戦術、戦略を巡らせて勝利を上げていた。
碑文にもあるがごとく永禄十一年織田信長公にその戦功を認められて、外山九ヶ村の守護を命ぜられて
築城したものと思われる。
(木倉自治会)

外山城史2(築城後の経緯)
この城跡は、規模は小さいけれど高鷲村(現郡上市高須町)の鷲見城によく似た地形で、
戦国時代根尾川筋を通り越前へ抜ける最短の路(みち)で諜報(ちょうほう)、間者(かんじゃ)
の行き交う戦略上重要な地点であった。
眼下には垣内(かいと)、九郷(くごう)の瀬古、木戸、加治屋敷、神宮寺、木戸ヶ洞等
城跡に関した地名が残る外山之里が開けている。
本能寺の変で織田信長歿後(天正十年1582)後は、一族とともに農業に専念し、開田や用水の
通拓(つうたく)二理科らを注ぎ、外山鷲見氏の礎となった。
外山城も往時は、今の数倍の広さであったが、昭和19年軍用道路「木倉〜金原線」として計画され、
一部着工も終戦となる。
昭和38年県道{西郷〜金原線」となり、本格的な道路工事のため城址は二分された。
更に平成10年から改良工事のため(現在では「主要地方道、関〜本巣線」)のため
城跡はほとんど無くなり、頂上を6m程下げ漸く(ようやく)現在の広さを確保した。
平成23年2月吉日(木倉自治会)

先回訪れた時は気付きませんでしたが、城跡の下のカーブの所に「城址碑」がありました。
またその手前に「百年?碑」がありました。
城跡へ登る道の雪も解け桜が満開でした。

 

61-1.根尾横ずれ活断層

岐阜県本巣市金原西塔之越  海抜 147m

北緯

35

34

23.

東経

136

38

45.

市指定記念物(天然記念物
明治二十四年(1891)10月28日、午前6時37分、マグニチュード8.0の濃尾地震が起きた。
此の地震は、岐阜県境の能郷白山(標高1617m)付近から美濃加茂市付近まで約80km
わたり延びる根尾谷断層が動いたことで起こったものである。
この時本巣市水鳥(みどり)に上下約6m、長さ約千mの断層崖が形成され、
それは今なお大地の運動の爪跡として残されている。
「水鳥の断層崖」が垂直ずれ(縦ずれ)を代表する地点であるのに対して、
水平ずれ(横ずれ)が本件にあたる。
かってここでは、畑や田や農道が系統的に約8m左にずれてる状態が明瞭に残されていた。
しかし、土地改良により、それらのほとんどは消滅し、現在では、南東端にあたる場所で、
その様子が道路の屈曲として観察できるだけとなっている。
(本巣市教育委員会)

「根尾横ずれ活断層」
県道79号から国道157号へ入って250m程の西側にあります。

根尾地区には
61-1.根尾ずれ活断層(岐阜県本巣市金原西塔之越)と       
 64-1.根尾谷断層(岐阜県本巣市金原水鳥(みどり))と          
66-2.根尾谷断層(中地区の左横ずれ(岐阜県本巣市根尾中)
3ヶ所の断層箇所が残されています。
(シルバーの散歩道)

 

61-2.坊主落とし
「円勝寺」

岐阜県本巣市日当  海抜 137m

北緯

35

35

01.

東経

136

37

58.

国道157号を金原に入ると「善勝寺」の案内板が目立つので157号の脇道(旧157号)ですが直に分かります。

善勝法師由緒地
61-2坊主おとし-1・ 円勝寺善勝法師が住職だった寺(本巣市金原)              
62-1坊主おとし-2・ 首を投げ捨てられた現場「遺跡善勝法師」(本巣市日当)       
69-1坊主おとし-3・ 隠れていた山(善勝法師が隠れていた三ノ段山)(本巣市根尾長峰) 
3ヶ所があります。 
(シルバーの散歩道)

 

61金原城(砦)

岐阜県本巣市金原

北緯

35

34

 

東経

136

38

「蛇池」
地元の人によると国道157号の脇にある「蛇池」の向かいにある
階段を登った山の頂上に城跡がある。

「蛇池」の道(国道157号)反対側にある階段を登る

少し登った所に「碑」と祠があったのでシメタと思ったが「山の神」をお祭りした祠でした。

道らしきものを辿って登ると所々に赤い杭が埋めてあるのでそれに沿って登ることにした。

金原城址か?
約15分ほど登って平らな場所に来たが何の遺構も碑らしきものも無いので
諦めて下ることとした。 でも地元の人の話によるとこの辺りらしい。

 

62.日当(ひなた)代官所址

岐阜県本巣市日当

北緯

35

34

54.0

東経

136

38

09.8

その道を250mほど進むとコミュニティバス「日当公民館」のポールがあり
脇に「史跡日当代官所跡」の碑があります。
代官所跡は「日当公民館」です。
なおこの狭い道路が「本巣縦貫道」です。

日当代官所跡
国道157号「日当平野トンネル南出口」すぐを西折すると「日当公民館」前へ出る。
この「日当公民館」が「日当代官所跡」です。

「史跡 日当代官所跡」碑の裏には
「大垣藩が延宝七年(1679)より幕末まで外山・根尾筋を治めてる」とあります。

下に見えるのが駅舎です。

本通りの坂の上には樽見鉄道「日当駅」があります

樽見鉄道「日当駅」の上の道路を北へ突き当り東に「白山神社」見えます。
その道を更に東へ150mほど進むと三叉路があり、三叉路の左側(北側)の道へ入ります。

「日当駅」の看板の右にかすかにガードレールが見えますが
麓の火葬場から「宇津志城址」へ登る道です。

 

62-1.坊主落とし
「遺跡善勝法師」

岐阜県本巣市日当  海抜 147m

北緯

35

35

16.

東経

136

37

58.

信長の本願寺攻めの波及
10年に及ぶ信長の石山本願寺攻めの波及がこの地にも及んだ「坊主落とし」
この地を治めていた「根尾右京之介」が信長の「僧侶往来吟味令」に反して兵糧を
加賀一向一揆勢に届けて帰った金原の「円勝寺」の善勝法師を討ち恩賞にあずかろう
として、ここまで来た時信長が本能寺で討たれたと聞いて
この崖から討った「首」を投げたのを「坊主落とし」と呼びます。
(シルバーの散歩道の独り言)
碑の左の川が首を投げた場所です。
(桜をきれいに撮ったつもりで二度訪れました、
昨日来て撮りましたがうまく取れませんでした善勝法師の祟りか!?)

目印は「日当駅」北の旧道を川沿いに北へのぼる、
湾曲した道を進むと川側に碑がありますが、最近は案内板が倒れていました。

「坊主落し」への下り口
国道157号を離れ「本巣縦貫道路」を樽見鉄道「日当駅」から北へ向かう方向へ進み
半島のように突き出た部分を進み樽見鉄道がトンネルから出る手前辺りの川側に
「遺跡(坊主落とし)善勝法師」碑と説明板が見えてきます。(説明板は倒れていました。)

円勝寺善勝法師由緒地(坊主落し)
円勝寺第九代住職善勝法師は石山合戦の最中に兵糧補給の為、大阪より帰来するが、
僧侶の往来吟味厳重の為、止むなく根尾村長嶺三ノ段の山中に隠れ住むが、
織田信長の下知を受けた根尾右京之介が探し出し、首を討ち取り、恩賞にあづかろうと、この地まできたが、
信長は本能寺で明智光秀に殺されたとの報を受け、力を落とし、首を投げ落とした場所である。
それよりこの場所を「坊主落し」と称され、難所であった。
近年開発が進み、おもかげはないが、階段下の石柱の前の崖ぶちあたりが往時をしのぶことができる。
   
 (円勝寺)

階段を下りて「樽見鉄道」線路方向へ進むと碑が見えてきます。
撮影技術が悪いのか中央の碑が霞んでいます。
樽見線のレールがわずかに確認できます。

「金原円勝寺由緒地」碑があります。

善勝法師由緒地
61-2坊主おとし-1・ 円勝寺善勝法師が住職だった寺(本巣市金原)              
62-1坊主おとし-2・ 首を投げ捨てられた現場「遺跡善勝法師」(本巣市日当)       
69-1坊主おとし-3・ 隠れていた山(善勝法師が隠れていた三ノ段山)(本巣市根尾長峰) 
3ヶ所があります。
(シルバーの散歩道)


根尾地区の8城址

63.宇津志城址

岐阜県本巣郡根尾宇津志古城  海抜 151m

北緯

35

34

39.

東経

136

38

08.

宇津志城址
県道255号を「宇津志」の集落を過ぎ「火葬場」の三叉路を山へ上る道を進むと
ヘヤピンカーブに差し掛かるところに小さな祠がある。
この祠の脇の小路を数分を登ると頂上へ出る。
そのあたりが城址だと教えてくれました。
地元の自治会長に場所を教えていただき確認
城跡には何もなし

「宇津志城址」
この城跡も目印のない所です。
根尾川も蛇行して流れ道も地図なしでは進めません
唯一の目印は地元の「火葬場」です。
此処を探して坂を200m程登ると祠があります。
案内板も説明板もありません。

宇津志のお城
「宇津志の東の山の中を歩いていると、人が作ったような不思議なものを見ることができます。
それは、同じ色の石を集めて石垣のように組んであった跡のようです。
実は、ここは今から660年くらい前、「宇津志城」と呼ばれるお城がありました。
宇津志城の周りが崖で、その下を川が流れていて守るのに都合のよいお城でした。
お城は、皆さんがテレビなどで見知ってるような大きな城ではなくて、秘密基地のような感じです。
にこにこ根尾つ子」(根尾村教育委員会発行)より

目印となる地元の火葬場
県道255号は火葬場の分岐点か山へ上がりますが冬場は通行止の看板があります。
訪れたとき丁度村の人が工事のため峠へ向かうので一緒に連れて行ってもらいました。
(画面の右に見える道路を登ります。)

冬季は県道255号は通行止めです。

堀口氏が建武年間(1334〜1338)に建てたと伝えられる。

火葬場から300mほど県道255号を進むとヘアピンカーブが城跡です。
道端に社があり脇道を登って城跡らしき場所へ出ましたが何もありませんでした。

今回は雪も無く城址まで行ってみようと登り始めましたが
赤杭は所々ありますが道が狭く危険な斜面です。
しばらく歩いても登り坂になりません(水平移動)山仕事の人達の道かもしれません。
10分くらい歩いて、諦めて帰りました。

 

64.高尾城址

岐阜県本巣市根尾高尾  海抜 197m

北緯

35

35

37.

東経

136

37

38.

高尾城の歴史
660年前の南北朝時代、高尾城は、南朝方でした。
宇津志城も根尾城も南朝方で連携していました。
地図にある「門脇」辺りは武家屋敷だったと考えられます。
地図最下にある「山崎」には「狼煙台」があり「宇津志城」や「根尾城」
と合図を送るのに使用されたと思われます。
にこにこ根尾つ子」(根尾村教育委員会発行)より

高尾城址
高尾城址は「樽見鉄道高尾駅」近くの旧高尾小学校の辺りから山側にかけて城域が伸びていました。
上図の「にこにこ根尾つ子」(根尾村教育委員会発行)を参考にしてください。
その地図に下部にある元武家屋敷跡の「門脇地区」や大手曲輪のあった「山崎地区」の画像を掲載します。

門脇地区
この辺りが昔武家屋敷があったと言われる地区です
後ろの山が城の中心だった場所です。

山崎地区
この辺に大手曲輪があったと言われています。
遺構らしきものは何も残っていないそうです。

 

64-1.谷地震断層

岐阜県本巣市根尾金原水鳥(みどり)  海抜156m

北緯

35

36

46.

東経

136

37

21.

当時の断層写真と
現在の同じ場所の写真です
道は勿論なだらかにされ、当時の面影を残すのは道路の左右に残るの高低差だけです。

根尾谷地震断層は国道157号の対岸にあるので
車の方は上流側か下流側で県道255号へ入る必要があります。
樽見路鉄道利用の方は「水鳥(みどり)駅」下車すぐです。

「天然記念物根尾谷断層」碑
道路脇建っていますが気付かずに通り過ぎる人が多いようです。

国指定特別天然記念物「根尾谷断層」
根尾谷断層は、明治24年10月28日早朝、日本内陸部に起こった過去最大の濃尾地震に際して生じた断層であり、
その規模は、福井県今立郡池田町野尻からかに石帷子(かたびら)地区まで、総延長80kmに及ぶ、世界でも最大級の地震断層である。
特に、この断層之中心部にあたるこの地(根尾村水鳥(みどり))においては、上下最大6m、水平横ずれ3m、長さ1kmに及ぶ断層崖が出現した。
地心に伴って生じた断層として初めて確認されたこの水鳥の断層は、その地震直後に撮影された記念写真が、内外の地震学の教科書等に引用され手世界的に有名となり、現在まで外国の研究者の来訪も多数にのぼっている。
このような理由により、この断層は昭和2年「根尾谷断層」として国の天然木難物に指定され、さらに昭和27年特別天然記念物」にしていされ婚に位置に至っている。

根尾地区には
61-1.根尾ずれ活断層(岐阜県本巣市金原西塔之越)と       
 64-1.根尾谷断層(岐阜県本巣市金原水鳥(みどり))と          
66-2.根尾谷断層(中地区の左横ずれ(岐阜県本巣市根尾中)
3ヶ所の断層箇所が残されています。(他の箇所も見て下さい。)
(シルバーの散歩道)

 

64-2.薄墨公園

岐阜県本巣市根尾板所今村

北緯

35

37

45.1

東経

136

36

45.8

シーズン中は駐車料金500円を徴収されます。

 

65.城址

岐阜県本巣市根尾樽見

北緯

35

39

 

東経

136

35

 

「樽見」の由来
1100年ほど前に書かれた地図に「垂見」と書かれた文献があり、これが「樽見」だと思われます。
600年くらい前の南北朝時代に多留見(たるみ)恵四郎が戦いに敗れここに留まり、
大領神社を直したことから「多留見村」と言うようになったとも言われています。
にこにこ根尾つ子」(根尾村教育委員会発行)より

根尾城
根尾城は根尾村で一番大きな城があったのです。
根尾城は東谷・西谷をお堀とし、後ろに高い山々があって柵や、たて堀を巡らしたとても大きな
自然を利用した城でした。
この城は、宇津志や高尾の城と同じで、約660年前の南北朝時代に南朝方として
新田義貞の弟によって守られていたそうです。
丁度この地は、北陸の国と美濃の国の大切な中間にあたり、みんなが自分のものにしたい場所でした。
にこにこ根尾つ子」(根尾村教育委員会発行)より

山の頂上(一の曲輪跡)
此処が地番大切な場所で、昔は木がなくて遠くまでよく見えました。
ここまでの途中は切掘りという城を守る溝や連絡する人が通る秘密の道などがありました。
にこにこ根尾つ子」(根尾村教育委員会発行)より

「三の曲輪」か「腰曲輪」までくらい登れないかと「大峰神社」まで登り道を探しましたが駄目でした。

 

66.神所城址

岐阜県本巣市根尾神所  海抜 199m

北緯

35

38

07.

東経

136

36

27.

神所と呼ばれるわけ
神所で一番古いものは春日神社です。
この神社は1000年以上も前に建てられたもので、そのころから人が住み、
神社と共に栄えたということです。
そのほかにも、姥の神神社(66−1御姥様の水)、根尾神社など沢山の神様が祀られ、
神様の里であることから、神所{かみどころ」→「こうどころ」→「こうどころ」と
呼ばれる様になったと言われています。
にこにこ根尾つ子」(根尾村教育委員会発行)より

にこにこ根尾つ子」(根尾村教育委員会発行)より

「神所城址」を見過ごさないポイント
根尾神所地区へ入るとすぐの場所です。
国道157号の擁壁に武者絵がありカーブの向こうに「根尾中学校」の白い校舎が見えてきます。
階段向かいの国道は少し広いスペースがあるので短時間駐車ならOKでしょう。

市指定記念物(史跡)神所城址
根尾右京亮(ねおうきょうのすけ)が築城したといわれている。
ここは越前、徳山へ通じる越前街道を押さえた交通の要衝で、
西に西谷川が流れ、東は山が背をなす要害の地である。
尾根の先端部の小山に築かれ、主郭は長さが70m程で、
その尾根続きには低い土塁を設けており、東側には腰曲輪が巡る。
現在主郭には諏訪神社が祀られている。
根尾氏の系譜についてははっきりしないが、
「太平記」は南朝方の忠臣のなかに美濃国 根尾入道が居たとし、
また、「美濃明細記」は根尾右京亮が神所の寺谷に住んだとしている。
さらに、「太平記」には根尾城が登場し、新田義貞の弟、脇屋義助が拠り戦ったという。
(本巣市教育委員会)

急な勾配の石段
見た目より勾配が急で踏面が狭く丸い石で四つ這いで登るしかない
これでは敵も攻めにくい城でしたでしょう。

上部主郭は意外に広く現在は「諏訪神社」が祀られています

下りは最高に気を付けて下りて下さい。

次は「大井の殿様屋敷跡」です。
国道157号へ戻り、北上します。200mほどで「根尾中学校」脇を抜けて更に200mほど進むと
三差路へ来ます。
三差路には信号機も標識もありません。
「キャンプ場バンガロー小笠原苑の小さな標識が目印です。

三差路の目印は「キャンプ場バンガロー入口」の看板です。
その三叉路を西へ曲がります。

しばらく進むと根尾西谷川に架かる「大門橋」を渡ると
道の左側に「大井の殿様屋敷」碑が目に入ります

67.大井の殿様屋敷跡

岐阜県本巣市根尾大井  海抜 181m

北緯

35

38

17.

東経

136

36

17.

市指定記念物(史蹟) 大井の殿屋敷
根尾川が西北から南東に流れる段丘上に位置する。
「根尾村史」によれば、戦国時代の土豪 根尾右京亮(ねおうきょうのすけ)の館跡あるとの説があり、
根尾右京亮の嫡子 島右京が居住したといわれている。
北と東は川に囲まれており、南は堀と土塁、西は土塁によって一辺40mに区画される館跡と考えられる。
ここより南東300mには、根尾右京亮により築城されたとの説がある
神所(こうどころ)城跡(市指定記念物 史跡」があり、両者の関係も深いと考えられる。
(本巣市教育委員会)

バンガロー村は土塁に囲まれています。

再び国道157号へ戻り更に北へ進みます。

67-1.御姥様の水

岐阜県本巣市根尾中  海抜 196m

北緯

35

38

32.

東経

136

36

22.

国道157号を「根尾中学校」から500m程の左側(西側)に碑があります。

名水「お姥様の水」の伝承
今を去る約1500年の昔、大男述王は皇位継承による迫害に遭い、
生後五十日の幼少の身で従者に護られ尾張より美濃路に入られ此の神所付近に仮住まいされたと伝承されています。
天皇に供奉された「おなみ」と申される姥は心優しく村人を教導され、又お産の手助けもされ村人に慕われ尊敬されていました。
大男述王は第二十六代継体天皇として御即位の為、姥は天皇と共に都へ上られた後、
この姥をお祭り申し上げのが姥ヶ神社であると伝えられています。
この神社の下より湧き出る水は昔より涸れることなく、又お姥様の「安産の水」とも言われて有名な清水であります。
(本巣市)

 

67-2.根尾谷断層
(中地区の左横ずれ)

岐阜県本巣市根尾中  海抜 190m

北緯

35

38

36.

東経

136

36

15.

国指定特別天然記念物(平成19年2月)
根尾谷断層(中地区の
横ずれ)

ここは濃尾地震の時に畑を横切って大地が横ずれを起こした場所で、
当時の様子がそのまま残されている貴重な場所です。
お茶の木や農道が横ずれを起こして屈曲しており、その場所をつなぐ線に沿って横ずれが走っています。
ずれた量は最大で9.2m、平均で7.4mあり、この量は濃尾地震(西濃・中濃地方)の時に
生じた横ずれ量としては最大です。(原文のまま)
断層の反対側が左にずれているので、こうした断層を左横ずれ断層と呼びます。
(現地説明板 本巣市教育委員会

青色の帯が断層面

畑の所有境や通路が明治二十四年(1891)10月28日、午前6時37分、マグニチュード8.0
濃尾地震が起きた、約120年前のまま残されています。

根尾地区には
61-1.根尾ずれ活断層(岐阜県本巣市金原西塔之越)と       
 64-1.根尾谷断層(岐阜県本巣市金原水鳥(みどり))と             
66-2.根尾谷断層(中地区の左横ずれ(岐阜県本巣市根尾中)   
3ヶ所の断層箇所が残されています。 
(シルバーの散歩道)

 

68.中の殿様屋敷

岐阜県本巣市根尾  海抜 207m

北緯

35

38

07.

東経

136

36

16.

」は以前「中村」でした。
今から650男ほど前に、中村内蔵(なかむら くら=根尾城主、根尾右京之介の三男)が住んでいた所です。
その中村をとって名づけられました。(村の真ん中に在ったらからとも言われています)
にこにこ根尾つ子」(根尾村教育委員会発行)より

八幡神社奥東が「中の殿様屋敷跡」です。
ビニールハウスの男性が言う通り「碑も何にもないぞ」は正解でした。

根尾中地区の入口近くの青いトタン屋根の家の手前を東へ入ります。
奥に八幡神社が見えます。
(入口の目標が説明しにくいので電柱番号を説明します「NTT越卒幹8」です。)

「屋敷跡」は青いトタン屋根の奥の一段高い平らな場所
と街道沿いのビニールハウスから出てきた方が教えてくれました。
奥へ入ると神社の前に駐車スペースがあります。

長峰城址は国道157号を更に北へ1.5kmほど進みS字カーブで坂を登った
右側の道を奥へ入った「素戔嗚神社」の奥が城址です。(碑も説明板もなし)

69.長峰城址(素鳴神社)
            すさのお

岐阜県本巣市根尾長峰  海抜 258m

北緯

35

39

41.

東経

136

35

01.

目印は根尾長峰地区の「素戔嗚(すさのお)神社です。

国道157号から「素盞鳴(すさのお)神社」へ入ります

「素盞鳴(すさのお)神社」と読みます

この神社の上に城址がありますが、現在道の整備など地元で考えている。
城跡は主郭などハッキリした遺構があるそうです。
(責任者の所氏談)
道が整備してないと登るのは大変だし、現在の状態では入山許可が必要な様でした。

「坊主落とし−3」は根尾川対岸の県道270号脇です。
「素戔嗚神社」からS字カーブを戻って根尾川対岸へ渡り、県道270号の合流点付近の
山が三之段山で案内板が道路脇にあります。

69-1.坊主落とし(3)
(善勝法師が隠れていた三ノ段山)

岐阜県本巣市根尾長峰  海抜 137m

北緯

35

35

01.

東経

136

37

58.

善勝法師が隠れていた「三ノ段山」

 

善勝法師由緒地(三ノ段)(善勝法師が隠れていた所)
円勝寺(本巣市金原)第九代住職 善勝法師は石山合戦の最中に、兵糧補給の為、
大阪より帰来するが僧侶往来吟味 厳重の為、止むなく当地 長峰三ノ段の山中に隠れ住むが、
織田信長の下知を受けた根尾右京之介が探し出し、晨朝勤行(じんじょうごんぎょう=本願寺の朝のお勤め)
終了と共に首を討ち取り、温床にあずかろうと、当地 日当(ひなた=本巣市)まで来た時、
信長が本能寺で殺されたとの報を受け、
その首を投げ捨てた場所を「坊主おとし」と称されている。
時に天正十年六月十三日のことであった。
前方に見える「三ノ段」山上は当時とかわりなく、往時を思い出させる環境である。
(円勝寺)

善勝法師由緒地
61-2坊主おとし-1・ 円勝寺善勝法師が住職だった寺(本巣市金原)              
62-1坊主おとし-2・ 首を投げ捨てられた現場「遺跡善勝法師」(本巣市日当)       
69-1坊主おとし-3・ 隠れていた山(善勝法師が隠れていた三ノ段山)(本巣市根尾長峰) 
3ヶ所があります。
(シルバーの散歩道)

国道157号を更に北へ2km程の東側に根尾発電所が見えます。

69-2.根尾発電所

岐阜県本巣市根尾長峰  海抜 137m

北緯

35

35

01.

東経

136

37

58.

根尾谷に文化の明りを灯した文明の建物

樽見より先に電気が灯った能郷
大正初めまでは電気は樽見まで来ていました。
勿論その奥には電気はいつ来るか分かりませんでした。
しかし、根尾村の一番奥の「能郷」に一番最初に電灯が灯ったのです。
それはこの地に「濃飛電気」という会社が大正11年に小さな簡易発電所を作ったのです。
電気会社も、その頃は道が狭くて悪く冬は雪が多く降り郵便物なども運べ婦負碑がありました。
電気会社も道路に電柱を建てられず、地元の人達は電気の文明を諦めていました。
能郷は大騒ぎ
それまではロウソクか石油ランプで薄暗くて風が吹くと消えてしまったり、
しかし、電灯が灯った時は大騒ぎでした。
「この火は熱くないぞ」、「息をかけても消えんぞ」と大騒ぎしたそうです。
もっと電気がほしい!
そしてもっと大きな発電所を作り広い地域の人達にも電気の恩恵を分けたいと地元はわきあがりました。

そしてすぐ次の年、もっと大きな発電所を作ろうとなり長島発電所(今の根尾発電所)を作ることになりました。
下(しも)の方から(岐阜市の方から)は道が悪くトラックなどは使えず、牛や人力で機材を運ぶことになりました。
何百kgもある機材を牛や人力で山道を何時間もかけてはこびました。
そして造られたのがこの発電所です。
今は出力は4500kw 常時出力は1300kw(今の電力何万kwに比べたら小さなものでした。)
しかし、この水力発電所は、今も自然の恵みを受けて無人で黙々と電気を作っています。
(昭和30年頃までは大勢の人達が勤務し社宅など設備もあり村の文化発信の中心でした。)
(シルバーの散歩道の独り言)

 根尾発電所を過ぎて1.5km程で「能郷(のごう)」の入口
本巣市営バス「黒津口」バス停があります。

70.能郷殿様屋敷跡

岐阜県本巣市根尾能郷上原  海抜 298

北緯

35

41

00.

東経

136

33

49.

能郷殿様屋敷跡
根尾能郷上原地区の最終民家の上段にそれはありました。
説明板は無く民家の方の説明だけです、屋敷跡には碑がありますが一族の墓石の様でした

能郷の入口
能郷の入口の「黒津口」バス停から道は二つに分かれます。
右の広い方は国道157号、左は町道へ入ります。

町道へ入り道なりに進むと消火栓がある三叉路へ出ます。
この道を真直ぐに進むとすぐに道は無くなります。
左の狭い道の方へ入り進み坂を下り「根尾西谷川」に架かる橋を渡ります。
そして坂を登ると数個の集落があります。(そこが最後の集落です)

根尾の一番奥の「根尾能郷上原」
画像に見える2軒が最終家屋、この先は電柱も無くなり電気の終点です。!

二人のお年寄りの姿が見えたので登って行く事にしました。

「殿様屋敷」はこの上の木の茂った場所にあるとの事
家と池の間の狭い石垣の上を池に落ちないよう通過すると一段高い場所登ることができるました。

方向が分からずウロウロしてると「その右の林の中!」と下から声がかかるので林の中へ。
(今は季節がら蛇などは冬眠中なのですが、おっかなびっくりで進むと)
「奥の方に石碑があるはずじゃ!小さいから杉枝に埋まっとる分からんで、よう探せ!」とまた声が掛かる
やっと10cm角くらいで苔も蒸していない石碑が見つかりました。

能郷の殿様屋敷跡
「堂洞妙宣寺・・・」
と読めます。
「昔は時々墓参りに親戚の人が来たけど、今は誰もこんなー(来ないな)」と下から声が掛かる。

近所にも殿様屋敷と間違えそうな家屋があります。

イノシシが無人家の中を駆け抜けているそうです。

この道の終点を確かめました。

道が無くなる状態を見てみたいと進みましたが、道には落ち葉、枯葉で埋められ
気味が悪くなり進むのを止めました。
念のため携帯受信状態はのアンテナは3本立ってました・

この地点で「根尾能郷」探訪は終了!

能郷の中心部へ戻る途中に伝統無形文化財の「能郷猿楽」の白山神社があります。

70-1.能郷白山神社

岐阜県本巣市根尾能郷上原  海抜 

北緯

35

41

東経

136

33

 

白山神社
岐阜県指定「重要無形民俗文化財能郷の能・狂言猿楽の舞台となる白山神社が村の入口にあります。

先ほどの三叉路を右へ進むと50mほどでゲートが閉まっていました。
以前はこの奥にも多数の集落があって木材などの産業で生活していましたが、
外国からの安価な材木や家の建て方(2×4方式の流行)、
子供の通学や救急医療の生活資材の問題で今は住んでいませんので冬はゲートを閉じています。
国道157号は冬季はここで終点

国道157号線は村の入口を北へ曲がり冬季はゲートが閉じられています。
夏季でも大型車は通行できません。
夏季用の看板が注意を呼びかけています。

村の入口のバス停終点「黒津口」には1日数本は来るようです

本巣市営バスが平日は8本あるようです。

根尾樽見の人でも「能郷は雪が深い」と敬遠する能郷へ
生まれて初めて来ました。「能郷の殿様屋敷」を探すために3度も車で飛ばして来て、
やっと殿様屋敷を見つけました。
雪が解け道が良くなると冬眠明けの熊や猪(しし)が出て怖いです。
もう地面を掘って食べ物をあさった痕跡が多数ありました。

地元の皆さん親切な人ばかりでした。
ありがとうございました。

都会で桜が終わる頃、今はダムの底の徳山集落の「徳山屋敷」「徳山城址」へ出かけようと思っています。
お城フアンが間違いなく目的地に行けるよう道案内ができる「シルバーの散歩道」を完成させる予定です。

次は「Oogaki06」巻の揖斐谷へ!


大垣城周辺の城址04

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大垣城周辺の城址06

シルバーの城郭城址の散歩道「大垣城周辺の城址05」(本巣市)