シルバーの城郭城跡の散歩道「織田信長・清州城」

 

 

 

 

 

清洲越しと松坂屋百貨店
約400年前の名古屋城築城時に、清洲(現・清須)から名古屋への遷都「清州越し」で移り住んだ商人や職人の集団は、
中核都市・名古屋の先駆者でした。
その時、今の名古屋市栄の松坂屋本店も、その中の一店舗でした。
武士を捨てた伊藤蘭丸祐道が創業者
松坂屋は1611年、織田信長の家臣だった伊藤蘭丸祐道が今の本店付近に「いとう呉服店」を創業したのに始まります。
祐道は関ヶ原の合戦後の泰平の世を予見し、武士の道を捨て商人の道を選んだと言います。
初めて定価販売を取り入れる
世情が安定すると共に家業は大きく発展し「現金掛け値なし」の小売業に転換しました。
1736年に、客と駆け引きでなく定価販売する正札商法を始めました。
この時に定められたのが、巻物の源流となった「元文の掟書(おきてがき)」でした。
その4年後の1740年には、尾張徳川藩の呉服御用達になり、事業の足場を着実に固めていきました。
江戸に進出のため上野「松坂屋」を買収
1768年には上野の呉服店「松坂屋」を買収し江戸に進出しました。
十五代目の伊藤次郎左衛門祐民は、1910年(明治43年)、欧米式のデパーメントストアーへの
転換を果たすため「株式会社いとう呉服店」を創立、初代社長になりました。
その後名古屋に本店を、大阪、銀座店開店。会社創立15年を機に社名を「松坂屋」に変更しました。

         城の用語コラム(土塁)

武者走り(むしゃばしり): 城内側の土塁(石塁)上の平地、もしくは城内より土塁へ上る坂を「武者走り」     という。
      これに対し、城外側の土塁上平地、城外へ下る土塁の坂は「犬走り」である。 土塁上にできる     「犬走り」と、土塁上にできる「武者走り」と、「犬走り」をあわせた平地を「馬踏(まふみ)」とも称す     る。
合坂(あうさか): 「あいさか」ともいい、「武者走り」の一種。 城内から土塁上に上る坂道が、土塁の下     や上で合流するもの。 土塁の上り下りに多くの兵が行動する場合は、混雑して衝突する恐れが     あるので、軍学では嫌われている。 だが実例は多い。
雁木坂(がんぎさか): 近世城郭において、土塁上に上り下りする「武者走り」のうち、まっすぐに上る幅     広い石段。
重なり坂: 「重ね坂」ともいう。 「武者走り」の一種。土塁上の二つ以上平行しているものをいう。 坂を     電光形にすれば、傾斜が緩く上り下りが楽であり、兵たちが衝突する恐れもない。
武者走り三段: 「合坂」「雁木坂」「重なり坂」の3つをいう。
犬走り(いぬばしり): 土塁の堀の外側にできた平地のこと。 また城外から城内へ上る坂、土塁の外側     に設けた段なども犬走りとよぶ。
      今治城(いまばりじょう=愛媛県今治市)や篠山城(ささやまじょう=兵庫県篠山市)にみられる、     石塁下の犬走りは後者である。
的土(あづち): 的土にはふたつの意味がある。
     @弓矢の的のこと。 これは安土と書く A城の虎口(こぐち)の外側に置かれている土塁。
       ここでの「的土は、Aの土塁のこと」。 虎口の発達に伴ない、土塁を切って虎口にした状態か     ら、しだいに外側に盛土を、「的土」「的土馬山(うまだし)」「一文字土居(いちもんじどい)」などと     いう。 更に発達すると「馬山」となる。 虎口」の内側に的土を設けたものである。
扇の矩(おうぎのかね): 円の中心から3等分したときにできる扇形の要(かなめ)の角度のこと。 土塁     の勾配は、土塁の2辺の頂点が120度になるのがいちばん適しているという。 軍学の謙信流で     使用する言葉。
敷栗石(しきくりいし): 土塁の上、武者走り(馬踏)に敷いた石のこと。 敵襲にさいし、兵たちが戦闘状     態に入るときに、雨水で地がぬからないようにしるためのもの。 
                    (「週刊 名城を行く」から)

GPS位置情報は目標物の測定位置が建物や遺構の中心でなく道路から辿るのに分かりやすく、
駐車場、鳥居、玄関などの場合もあります。その他の情報も2002年頃に現地で確認したものですので、
その後、道路拡幅などによる移転や行政合併特例法による市町村合併で市町村名の変更があるので
その後の情報でご確認ください。

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